文和5年(1356年)、常明寺鈍翁了愚和尚が、京都より茶の実を持ち帰り、畑に植え製茶して自家飲料に用いた。
地域特産物としての土山茶の起源はそれからおよそ300年後の天和年間の初期(1681年頃)に求められる。永雲寺三世天嶺和尚が、
京都大徳寺より茶の実を持ち帰り、自園(地名にちなんで高座園という)に播き茶樹を栽培した。現在でも土山中学校付近に、高座野という
地名が残っている。天嶺和尚はこの茶を村民に分け与えるとともに、東海道を往来する旅人にも分売した。
この茶の製法は当時「あけぼの製」といい、茶銘も「曙」と号し、風味香気が優れた茶として次第に名声が高まった。
当時土山であけぼの茶をたしなんだ京都の公卿姉小路公文(あねがこうじ きみふみ)卿は、
あけぼの茶を讃えて次のような歌を永雲寺に軸物として残している。
「近江国土山永雲寺の未明(あけぼの)茶にて詠める。
たぐいなや つみはやすてう若草の 緑にかすむ あけぼのの山」
あけぼの茶の製法は、天嶺和尚から松山佐平治氏に伝授され、その後松山氏の創意勧業によりますますあけぼの茶の名声は高まった。
東海道の難所である鈴鹿越え前後の宿という土山宿の立地条件もあって、茶を購入する人が徐々に増え、それにつれて
製造販売も次第に規模が大きくなっていき、今日の土山茶業に基礎が築きあげられるに至った。この時期のあけぼの茶の看板が、
今も松山正己家に残されている。
当時の茶銘をあげると、「曙、高座、朝日山、初桜、飛梅、山咲、若翠、初霞、鷹の爪、喜撰、一森、政所、白拂」の13種であり、
そのうち2銘柄「曙、高座」が土山に関する茶銘であった。
心のともしび30号より